Dovelog

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DJが逝って、さらにスティーブンも逝った。
もちろん哀しみもあるが、一時はそれ以上に怒りをおぼえた。
何故、こうなる。
どこにもぶつけようのない怒り。
だからこの世に神なんて居ないんだ。
だから俺はどんな宗教も信じないんだ。
解ってるつもりだ。
そんな考えかたは、子供じみていると。
だが、神なんてもんが居るなら、俺はそれを憎む。

DJのことは、ツアーの最中、突然に知った。
電話で、本当なのかと思わず聞き返した。
その夜のショーでは、休憩中にFar From Perfectをでかい音でかけた。
実際に会ったことは一度しかないのに、DJのことは強く心に焼き付いた。
まさに小さな巨人。
人のバックで名前のあるDJだが、それらどの仕事よりも、自分は彼のアルバムが好きだ。
2003年にオースティンで会ったが、お互いにどうにも時間が調整できず、話しを聞くことはできなかった。
しかし、帰国後に何とDJからメールでのインタヴューという提案をもらった。
大変なメールでのインタヴューに、真剣に答えてくれた。
彼の住んでいた地域には、中々縁がなく、その後彼自身のショーを観る機会にめぐまれなかった。
それなら、自分が呼んで観ればいい。
2005年、本人もそれを希望してくれた。
しかし、願わくば、バンドで。
そのための体制も、徐々に固まっていった。

昨年、どうもライヴ盤が出たという情報があって、本人に連絡してみた。
「都合するから住所を教えてくれ。有り難う!」という返信があった。
それを聴いて、そこから何かが動くかもしれないと心の中で思っていた。
亡くなるほぼちょうど1年前の4月8日。
もうこの時には闘病に入っていたのだ。
そう思うと、ボロボロ泣けた。
前を向こうと努めているが、やもすればぼんやりと、真っ白になってしまう。

スティーヴンのことは、そういう状況の中の、さらに追い打ちだった。
しかし、その日が来る事は、少しづつ時間をかけて覚悟してきた。
チャンプやDJの時は、何の心の準備もないままに突然だった。
そういうのは、いきなり突き落とされるような、目の前が真っ暗になる。

スティーヴンに初めて会ったのは、2001年だった。
オースティンのレコード店のインストア・イベントで、まったく偶然だった。
スティーブンを見つけた友人が、紹介するといって、唐突だった。
挨拶して、サインをもらったが、顔を直視できなかった。
ファーストは、何度聴いたか分からない。
Getting Over Youは、生涯聴き続ける曲だ。

2年と半。
最初に知った時には愕然としたが、リヴォン・ヘルムの例もあり、希望は必ずあるはずと信じた。
しかし、2007年10月に来日した際は、その変わりように呆然とした。
もう、その日はライヴどころではない。
頭は真っ白で、何か考えていなければ、何かしていなければ、その場で泣き出しそうだった。
その夜は、ショーを観るどころではなかった。
無意識の内に店の一番後ろのほう、ステージの見えない所に行き、ただ立ち尽くしていた。
うわの空で、あの素晴らしい音楽も、まるで入ってこなかった。
休憩中に話した。
12月オースティンに行くから、必ずまた会おうと。
絶対にインタヴューさせてほしいと。
必ず頼むよと、何度も念押しした。
もう気後れなどしている場合じゃなかった。
何か聴きたい曲あるかと訊いてくれた。
Getting Over Youと、無意識のうちに口を出た。
この1曲だけ、その音だけを必死になって聴いた。
もしかしたら、この曲をこうして聴くのも最後かもしれないと思いながら。
あの時、その姿を観ていれば、泣いたろう。
ライヴのあとの酒席も上の空だった。
明らかにダウナー、しかし、それを隠す気もなかった。

その現実を目の当たりにしたその日から、スティーブンのことが頭から離れたことは一日もなかった。
それでも2007年の12月に会った時は、その回復振りに「これは大丈夫ではないか」と思った。
ついに実現したインタヴューは、心が震えた。
だが、オースティンの複数筋からの情報では、その後の状態は一進一退。
何もできない、それが解っていても気にかかり続けた。
2008年の4月にある友人が送ってくれた写真を見て、5月にはおそらく肺に転移が認められたと聞くに及んで、どこかで、心のどこかで希望を断たれたと感じていた。
今年に入り、肺炎で入院したという報せがあった。
昔からの仲間が大勢、見舞いに訪れていると聞いた。
この頃、皆、もう何らかの覚悟をしていたのかもしれない。
どうにもならぬ気持ちと、何とか折り合いながら日々を過ごした。
そして、その日が近づいていることを、徐々に覚悟していった。
オースティンの友人達に病状を訊くのもやめた。
伝える方も辛かろうと思ったから。
そして、その日を迎えた。

数日後、ガーフから、別件で連絡が入った。
少し対応を待って欲しいと、理由とともに返信した。
師曰く、「我々は遅かれ早かれ、皆死ぬ。それは憎むことではない。我らがDJやブルトンと知り合えたことは幸運だった」と。
たぶん、分かってるつもりだ。
しかし.....そう返事をした。
師の近作には、命や生涯について描いた曲が実に多い。
やり場のない感情が、憎むという形になったが、たしかにそれは違うのかもしれない。

スティーブンは、旧友にして親友のT-ボーン・バーネットの家で、それこそ最期を迎える直前まで、ある映画のサウンドトラックの仕事に取り組んでいたという。
生涯ミュージシャンを貫いたということだろう。

そして、自分の中で決めたことがある。
新しい道を行く。
極度に困難であることは百も承知している。
しかし、何もやらずにただ諦めてしまえば、生涯に悔いを残すだろう。
チャンプ、DJ、そしてスティーヴン、彼らが背中を押してくれた。
ありがとう。
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